文科省職員がハーバード生に!?行政官が留学を志すまで
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文科省職員がハーバード生に!?行政官が留学を志すまで

いよいよ始まりました、文科省リクルートチームnote!
ここでは、採用説明会や採用パンフレットなどでは紹介しきれない、文科省やその中で働く職員の魅力について、深掘りした内容をお届けしていきたいと思います。

記念すべき第1弾は、村越幸史さんへの職員インタビューです!
村越さんは、大学で材料工学を学んだ後、文科省に入省し、省内や他省庁での業務経験を経て、なんと現在、人事院の留学制度(※)を活用し、ハーバードケネディスクールに留学中!

そんな若手職員からの憧れの存在である村越さんに、まだまだ公務員として日々精進中のリクルートチームの若手職員2名から、これまでの業務や留学に至った経緯、留学中の経験やこれからのことなどなどについてインタビューを行いました!今回は前編として、入省から留学を志すまでの内容をお届けします!ぜひご覧ください!(2020年3月にオンラインインタビューを実施)

村越 幸史(むらこし こうし)
 2013年度入省。以降、海洋科学技術政策、原子力規制庁への出向、外国人教育政策に関する業務に従事。2019年7月より、人事院の留学制度を活用し、ハーバード大学ケネディスクールで行政学の修士課程に在籍
人事院の留学制度についてはこちら

新宮・池田 こんにちは!入省4年目(当時)の新宮と、3年目(当時)の池田です。本日は時差もある中、オンラインインタビューに応じていただきありがとうございます!今回は、村越さんのキャリアパスについて順に追っていきつつ、現在留学されている中で感じていることや、国家公務員ひいては文科省での仕事を検討されている学生さんへのメッセージをお伺いできればと思っています!

村越 こちらこそ、よろしくお願いします。

クラスメイト

留学先のクラスメイトとの写真(中央が村越さん)


理系出身。教育政策にも関心があり文科省を志望

ー新宮 早速ですが、村越さんが文科省を志望するに至った経緯を教えてください。

村越 大学院で最先端の研究に触れる中で、科学技術の面白さと可能性を学びました。研究者にも興味がありましたが、福島第一原子力発電所事故を経験して、社会との関わりの中で科学技術を推進したいと考えるようになりました。また、教育政策にも関心があったので、文科省を志望しました。

ー池田 技術系採用と言っても、教育にも関心があって入省した職員は多いですよね。私もそうでした。民間企業や他省庁といった選択肢は検討されましたか?また、文科省にした決め手は何でしたか?

村越 他の省庁や民間も並行して見ていましたが、文科省の雰囲気が最も一緒に働きたいと思えるものでした。文科省の職員の方との面接を通じて、穏やかでありつつも、日本の未来を良くするという明確な意思を持つ方が多いと感じました。

ー新宮 具体的には、他の省庁と比較して、文科省の雰囲気はどうでしたか?また、それを感じ取ったのはいつ頃だったでしょうか?

村越 他省庁で併願していたのは、経産省と総務省(情報通信)でした。雰囲気を感じとったタイミングは、基本的には官庁訪問でした。文科省の第一印象は穏やかな印象でしたが、話してみると、熱い人も多かったです。経産省は広告業界の如く熱いプレゼンしてくれて、それも好きでしたが、最終的には自分がチームに入るなら経産省よりも文科省が良いなと思いました。

ー新宮 なるほど。それでは、必ずしも官庁訪問をする前から文科省に決めていたという訳ではないのですね。

村越 実は、夏の官庁訪問のときは、役人になるなら文科省にしようと決めていました。というのも、国家総合職試験には官庁訪問の前年度に最終合格していたんです。就活する年度より前に最終合格しておくと、技術系の採用では夏の官庁訪問より前に、既合格者向けの春(6月)の官庁訪問を受けられますよね。春の官庁訪問(※)では経産省と文科省を訪問したのですが、残念ながら最後、文科省から内定を頂くことができませんでした。ただ、この時に感じた文科省の雰囲気が良かったので、夏の官庁訪問でも、文科省を第一志望に再チャレンジしたということです。その他には、総務省(情報通信)への官庁訪問や、博士課程に進学する準備もしていました。

※春の官庁訪問(既合格者向け6月期官庁訪問)についてはこちら

ー池田 技術系の公務員採用では、修士・博士課程進学と就職を迷う学生も多いですよね。文科省への就職と、博士課程進学とでは悩みませんでしたか?

村越 けっこう悩むところですよね。正直、明確な答えがあったわけではないです。ただ、当時、博士課程に進学するというのは、自分が希望すれば叶う選択肢だと思っていました。仕事を途中で辞めて、博士課程に進学するという手も選べますし。もちろん、博士課程やその先のアカデミアへ進んで、途中から転職して霞が関で働くというのも、可能といえば可能ですが、霞が関で働くということは、例え自分が希望したとしても、ある程度機会をいただかないとできないことだと考えており、そのチャンスがあるのであれば、チャレンジしよう、と思いました。

ー池田 私は博士課程まで進学してから文科省に入りましたが、国家公務員という選択肢を選べるタイミングは、良くも悪くも限られていますよね。


入省直後は組織に不信感を抱いたことも…

ー新宮 最終的には文科省の雰囲気が決め手となったということでしたが、実際に働き始めてから、入省前と比べて何かギャップは感じましたか?

村越 働いている職員の方の雰囲気については、それほどギャップはありませんでした。官庁訪問では職員の方と濃密に話しますし、私は官庁訪問に2回参加したという点もあるかと思います。ただ、実際にやる業務としては、今は少しずつ変わっているとは思うのですが、1、2年目のときに経験した国会対応のための係員業務はやっぱり地味だし、「なんでこんな遅い時間までやらなきゃいけないんだろう」と思うことはありましたね。更に本音を言えば、私が入省してから、一緒に仕事をしていた上司が不祥事を起こして大きな問題になったりして、組織への不信感を抱いたこともありました。

ー池田 私も官庁訪問する直前に、文科省が世間を騒がせる事案がありました。官庁訪問では、職員の人から、「こんな時に文科省を志望してくれて本当にありがとう」という言葉とともに、「これから組織は変わる」ということ言われました。それにも関わらず、まさか入省して1年も立たない内に、村越さんが言っているような不祥事がまた起きてしまった。最終的には「組織に残っていた膿が出切ったもの」と考えて何とか業務を続けられましたが、入ってみないと分からない、役人ならではの葛藤や心苦しさみたいなものはありますね。

村越 最近では、それが外に見えるようになってきていますよね。

ー池田 1年目の仕事について、「こんなことをやるために入ったのかな」と思うこともあったようですが、そんな中でも、文科省でのキャリアを歩み続けてきた理由は何でしょうか?

村越 自分のマインドセットは「今やっていることをしっかりやる」ということです。本気で取り組む前に判断してしまうのではなく、まずはやってみよう、と思っています。確かに思い描いていたことと違うところはあるものの、早い時期から色々考えて仕事をしていたおかげで、科学技術や教育の面から日本のためにコミットできるというのは、この仕事の好きなところだと思えるようになりました。

ー池田 文科省での仕事が、「面白くなってきたぞ」と思うようになったのは、いつ頃でしたか?

村越 最初に面白くなったのは、入省して1、2年目で省内に北極関係の省内会議を立ち上げたときです。当時の政務官をリーダーとするタスクフォースで、私は業務としては会議のセッティングや調整をしていたまででしたが、政策が形成されていくダイナミクスや予算要求といった過程を、身近で見ることができたのは良い刺激でした。

ー新宮 1、2年目の時点から面白いと思える要素もあったのですね。一見、雑用に見えたりする業務でも、意外と自分が作成した文書や資料がそのまま世の中に出たり、誰かの発言になったりもしますよね。北極関係の仕事が、何か形として外に出たことはありましたか?

ー村越 北極の話で言えば、新しく海外とも連携する北極域研究推進プロジェクト(ArCS(アークス)プロジェクト)(※)というプロジェクトが立ち上がりました。普段の自分の細かい業務としては、プロジェクトを実施する研究機関のプレスリリースの対応をしていたので、小さくても記事になったりするのを見るとやりがいに繋がっていったりしましたね。

※現行の北極域研究のプロジェクト(北極域研究加速プロジェクト:ArCSⅡ)についてはこちら

留学を考えるきっかけになった、原子力規制庁での経験

ー新宮 1、2年目で北極関係の仕事をした後は、どのようなポストに就かれたのでしょうか?

村越 2年目の終わりに原子力規制庁へ出向となり、そこで約2年間仕事をしました。着任当初から専門職という係長級の役職でした。当時は、原子力規制庁内には、役所で働いた経験のある人が必ずしも多くない状況(民間企業等からの出向者も多い状況)でした。逆境と言えば逆境でしたが、そのような状況だからこそ、自分の裁量をもって仕事ができたし、組織も新しいので、ザ・お役所といったイメージのスピード感にかける意思決定プロセスはありませんでした。

ー池田 出向先ということもあるのかも知れませんが、2年目で係長というのは早いですね。今の文科省ではだいたい4年目から係長級になりますね。

村越 肩書きだけは、といったところでしょうか。2年目の終わりからなので、ほとんど3年目ではありました。建前上は部下もいたのですが、なんと一般職採用で入省していた同期でした(笑)。なので、部下という感じではなく、同じライン(チーム)として一緒に仕事をしていた感じですね。

ー池田 出向先で同期と同じラインで仕事が出来るのは心強いですね。形式上は上司の扱いですし、責任のあるポストだと思いますが、原子力規制庁ではどのような業務を経験されたのでしょうか?

村越 主に、放射性物質のモニタリングに関する国際共同調査の推進を行っていました。福島第一原発事故の後、各国からの輸入規制や世界貿易機関(WTO)との関係など、様々な問題や動きがあった中で、放射性物質が漏れているのではないかといった懸念に対して、日本が行う放射性物質のモニタリングの信頼性を示す必要がありました。そのためには日本だけの調査ではダメで、国際原子力機関(IAEA)や諸外国と一緒にサンプリングしたり、日本と海外で同じデータが取れるということを共同調査し、プレスリリースするという一連の活動が必要であり、私はこれについて国内・海外の関係者との橋渡し役、調査の総合調整役としての業務を担っていました。

ー新宮 日本の未来を左右するような大変な仕事ですね。国際的な枠組みの調整となると、やりとりは勿論英語となるわけですよね?

村越 そうですね。IAEAや海外機関とは基本的に英語でやり取りをしていました。来日時のアテンドも行う等、大変な仕事でしたが、政府職員としてのやりがいを感じました。現場での仕事だったので、そういう仕事は面白いなとも思いました。

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IAEAとの共同調査の様子①(原子力規制庁HPより)試料採取に参加したメンバー(1番左が村越さん。原子力規制庁、外務省、IAEA及びALMERAネットワークの海外専門家)

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IAEAとの共同調査の様子②(原子力規制庁HPより)海底土の採取の様子

ー池田 原子力規制庁での経験は、村越さんのその後のキャリアにどのような影響を与えたのでしょうか?

村越 振り返ってみると、原子力規制庁で一通りの失敗を経験できたことが、その後の大きな財産になったと思います。同じく文科省からの出向者であるKさんが私の直属の上司で、タッグを組んで仕事をしていたのですが、Kさんの面倒見がよく、色々教えて頂きましたし、何より、失敗しても再チャレンジしやすい環境を作ってくれていました。

ー池田 自分も前の上司がKさんでした!あまり口数が多い方ではなく、最初はちょっと怖かったのですが(笑)、実はものすごく物事を深く考えられている方で、とても勉強になりました。部下の成長や裁量を重要視しつつ、要所要所で仕事のコツも教えてくれるし、本当に良い経験をさせてもらったと思います。話が脱線してしまうので、これ以上はよしておきますが、積もる話がありそうですね。

村越 状況落ち着いたら3人で飲みましょう(笑)

ー池田 是非お願いします!(笑)

村越 また、原子力規制庁での経験を通じて、自身の英語力や国際的な視野の不足も実感したので、そこから留学を考えるようになりました。

ー新宮 原子力規制庁での経験が留学に至る原動力になっている訳ですね。

村越 そうですね。原子力規制庁を離れた後は、文科省の国際課に配属されたのですが、そこでは教育分野での国際協力にも携わることができ、留学への準備も進めていきました。ハイレベルの会合に携わる中で、今在学しているハーバードケネディスクールの卒業生の活躍に触れる機会も多く、私もそこで学びたいと考えるようになりました。

ー新宮 なるほど。北極関係の会議体の運営や、原子力規制庁での国際共同調査に関する調整、教育分野での海外連携など、かなりグルーバルな視点からキャリアを積まれてきたことが伺えますね。後編では、現在留学されているハーバードケネディスクールでの暮らしや、今まさに考えていること、文科省から離れて見た文科省について、といった内容を伺っていければと思います!


次回、Who am I ? 留学で自分を再発見(仮)へ続く!

文部科学省やその中で働く職員の魅力について、分かりやすくお届けしていきます!